あしたやろうはばかやろう

私の心よ、無限に深くなれ

浄化する恋愛

ずっとずっと。



最後までホントのことを言ってくれていたと
信じきれない自分がいる。



こうやっていつも自分に非があると
認めてくれる彼に
どれだけ甘えていたんだろうか。



これ以上の愛を求めるのは間違いだったのだろうか。




もっともっと会いたかったよ、
どうして私にそんな大切なこと教えてくれなかったの??私だってそれ知ったら我慢できたよ。

気遣えたよ。




日常のLINEがただ繰り返されるのが、当たり前なのか苦痛の叫びだったのか、私には気づくことが出来なかった。



心がしんどい時に甘えてもらえなかったさみしさと、大人のプライドを守りたい彼を受け止められなかった器の小ささに胸が潰されそうだ。








でも、仕方がなかったと思う。
結局私は我慢していたと思う。
解放された気がした、幸せな2人の未来はなかった。
優先順位の1位に私が君臨する事など無かったのだ。


私は彼の事が好きだった。
今もどうか元気でいてほしいと思っている。


でもその反面、LINEの返事が来ないこの時間すら



きっと飲み会や友人との予定を過ごしている、


または大切な女性との時間になっているのではないかと
思えて仕方ないのだ。







心を病んでしまうくらい私を愛していたとは
思えないのだ。









一度も好きと言ってくれなかった、はっきりと。

始まりも曖昧だった。

彼女だと思ってた。
って別れ話のたび彼は言ったけど


彼の発する愛してるよ、好きだよ、は

シールのように剥がれ落ちるようなものだった。






リマインダーに彼の好きなものを綴ってたこと、
天気アプリで彼の住む地域を登録してたこと、
一緒に行きたかった場所をリストアップしてたこと、
1年記念日をスケジュールに入れてたこと、


何もかもが染まっててつらい。







戻りたい、4月に。


でももうきっとやり直すことは無い。
私とあなたは、私の思い描く恋人同士にはなれない。

でも、

あなたに会うために可愛くなろうと思う心だけは
尊くてあなたがくれた宝物だと思ってる。


これで良かった、良かったんだよ。






きっと忘れられる日が来る。

気付いたら頭の中から居なくなっていくんだ。


ありがとう、幸せな時間を私にくれて。
どうか元気で。

さよなら。

聲の形を観てきた

久しぶりのブログ更新。
仕事の大きな山がひと段落したご褒美として
1人映画に行くことにした。

選んだのは「聲の形」(こえのかたち)。
私が愛してやまない
京都アニメーションが製作を手掛けている。

君の名は。」がかなり話題を呼んでいて、映画館もだいぶフューチャーしているが、私は同じアニメというジャンルで言えば「聲の形」の方が関心が高かった。



※ここからは話の内容に触れるため、ネタバレを気にせず読める方だけ進んでください。




今回作品を見るにあたって、あえて予備知識を入れなかった。というか入れる余裕がなかった。
これは初めての試みだったが、結果としてかなり正解だったと思う。


小学生時代の将也を松岡茉優ちゃんが演じていることをすっかり忘れていた。
そして違和感なく見終わっていた。

そこがすごいと思う。



予備知識を入れていたらきっと演技の端々で松岡茉優ちゃんを感じ取ってしまったかもしれないと思うと、とても大切な1回きりの鑑賞だったことを思い知らされる。


そして、西宮硝子の演技。
演じたはやみんの振り幅に今更ながら感動している。

私の中ではやみんは「ご注文はうさぎですか?」シリーズの青山さん、「赤髪の白雪姫」の白雪、「甘々と稲妻」の飯田小鳥ちゃん のような声のイメージだったので、今回の硝子の声を聴いて感動した。その台詞ひとつひとつの表現にグッときた。


私も小学生時代、同じクラスに補聴器を着けている男の子がいた。
だから、話し方や動き、表情の移り変わりが正確でリアルだったことが分かる。



いたずら心でからかったり、
ただ単に好奇心、興味本位で質問したり。

小学生ならではのあの空気というのは、大人になって様々なモラルを知った今の自分からすればとんでもなく非常識で、怒鳴り込みたいところだった。

そして、今の自分の職業もあってか、クラス担任の態度も気になった。高圧的で、問題をまやかしている姿に苛つきを覚えた。

(原作マンガではもっとイラつく描写をしていたので映画の方がまだマシだった)


しかし、そこがリアルで良かったのだ。

小学生のころの"正義か悪か"という2択しかなかった世界で、救ってあげられなかった彼・彼女達の姿を描いてくれたからこそ、高校生編が生きてくる。



高校生になった彼らは本当に複雑な心の動きをしていて、とても繊細に扱ってやらないといつ割れるか分からないほどだった。

でも決して重すぎず、温かい光や景色に包まれているのが印象的で、これぞ京アニ!という背景や画全体に心奪われていた。

小学生時代に何だよコイツと思うような人物も、高校生になり、

「あぁ、あの時はこういう思いだったのか」「この人は根っこからこういう人間なのか」

と、物語の進みと共に、ものの見方が変わる経験を私もした。

そして特に、女子の集まりというのはとかくややこしいが

ああ、こういう人もいるよね。
こんなふうに大人になったんだね。


と感じるキャラクターの育て方をしていた。

孤立していた将也をわざとらしいくらいの「親友」として手を伸ばし、顔を上げて生きることを手助けした永束(cv.小野賢章)は本当にイイヤツだし、

"嫌いなら嫌いでそのまま通していいんだ。"
見方を変えて最後には少しだけ歩み寄れた植野(cv.金子有希)に私は感動した。



そしてなによりも、将也のリアルさを丁寧に表現した自由くんのことを私は今、心から尊敬している。
いじめっ子というか、やんちゃで好奇心旺盛な将也(cv.松岡茉優)との対比が、それまでの心の傷を描いているようで本当に胸が苦しくなった。


また、主人公達を取り巻く家族たちも素敵なキャラクターばかり。

将也の母親はどこまで行っても将也の味方であり続けることが滲み出ていて、将也が目を覚ますまでの間の様子に心が傷んだ。

硝子の母親は、無表情で何かを頑なに拒絶しているかのような冷たさを感じていたけど、その裏側には必死で硝子と硝子の妹である結弦(cv.悠木碧)を守ろうとしていたのだと最後に分かった。


結弦と祖母・いと とのやりとりも感じる部分が大きかったのだが、それはまたの機会に話そうと思う。


この作品に出てくる人物達すべてが「善」と呼べないかもしれないけれど、根っこの部分はきっと「善」なんだと思えた。自分の生き方に真っ直ぐ向き合う彼らに私は感動した。





手話に関しては、専門学生時代に1年間かじっていた事もあり、なんとなく台詞が削られた場面も内容を理解することが出来た。

後半に進むにつれ、孤独や死を扱えば扱うほど胸にぐさぐさと刺さるものがあって、涙をこらえるのに必死だった。たぶん隣の人は私の嗚咽がうるさかっただろう。ごめんなさい。


なんで最期を描こうとするとき、直前をあんなにも色鮮やかに美しくするんだろうなぁ……胸が痛くて仕方なかったよ……(褒めています)



誰しもが経験する、人との衝突、自分との衝突。

本当は自分の心の奥底にしまい込んで、
もう2度とその蓋が開かないように
きつく鍵をかけているかもしれないけれど、

この映画を見ているときだけは
そっと開けてしまいそうな気がする。

私も気がつけば開けていた。


将也と硝子と一緒に向き合える気がした。
そして、希望や勇気をもらえた。
学生時代に見ていたらきっと人生観が変わっていたと思う。

大人になった今みても胸にこんなにも響いているのだから。





取り留めもなく思いつくままに書いてしまって申し訳なかったです。

温かく、そして優しく動いている彼らを見れば見るほど私はその裏側を想像してしまって………

なんだか重たい作品のようになってしまっているかもしれないけれど、決してそんなことは無いんです。

作品全体は柔らかい優しさと儚さで包まれています。
とりいそぎこの湧いてくる思いを言葉に残したかったのです。





これから何度かまた見に行きたい作品です。

「聲の形」
(映画『聲の形』公式サイト)

この作品に出会えて良かったです。

もやもや

付き合い始めてあと少しで2ヶ月目。
遠距離になってから1ヶ月。
電話してもなかなか楽しいって思えていないことに気づく。
お互いが話し合えば話し合うほどドツボにはまってる。


好きなはずなのに、なぜ?



素直にごめんって思ってるのに
それを伝えてるのに、なぜ?


思えば思うほど自分が嫌になる。

ちょっと疲れたのかな。


無理するの、やめよう。



会うのが楽しみ。早く顔が見たい。
ぎゅーってして欲しい。
だから仕事も頑張る。家具だって早めに揃えたい。料理してること褒めて欲しい。偉いねって言って欲しい。私を好きになってよかったって思って欲しい。




やっとして欲しいこと出てきた。

優しいってなんだろう



なんだかんだで人に好かれる人っていうのは素直でまっすぐに向き合える人だなぁ…😶💭💫


(私はそういう人が素敵だなと思う傾向がある)



保育の勉強してる中で、五領域の1つ「人間関係」ってのがあるけど、生きていく上で人と関わらずに過ごすのは不可能。

最近、よく考える。
人間関係とか性格って難しいな、と。




学生時代においても、発達段階によってそれなりの衝突をしながら人間関係を築いていくのは当たり前のことで。


ただそれを上手に避けてきた人もいる。
反対に、
見事なまでに必要以上の衝突を経験する人もいる。



人の数だけ、ってやつ。



私が生きている中で、人と関わるのはマストなもの。積極的に取り入れてると自負してる。

だから、人よりも「他人の目」を気にして生きてると思ってる。そして必要以上に、他人の感情に敏感だと思う。

それに最近疲れちゃったんだな〜多分。




色んな人と出会ってきたけど、そりの合う合わないによって、付き合い方が変化して。はっきり言えば視界にすら入れたくないと拒絶する時もあった。そういう自分に嫌悪感抱いたりしてね。
ま、それも時間が解決するんだけどさ。




全ての人に対して平等に接することが出来る人は素晴らしいと思う。
なんだろう、本音はどうにせよ、不快感を与えない対応ができる人?



未だに優しい人になりたいって思うけど
私はそれが素直にできない人種だとも思う。


素直さが欠如してる。
天邪鬼である。


時には自己中になって、
自分を守る事に徹する。



どうしたら自分を受け入れられるんだろうね〜難しいや(笑)

未だにアイデンティティの確立が出来てないのかな?出来てると思ったんだけどなー。拡散は絶対にしない(笑)エリクソンの発達段階ね。




こういう抽象的な話ができた高校時代を懐かしむ日曜日の夕方です。

身支度

暖冬とはいえ、朝晩の冷え込みはきつくなっていく今日このごろ。


朝起きられないことに危機感を覚えて始めた、(引越し準備も兼ねた)「生活リズム取り戻そう企画」はあっけなく3日坊主で終わったのだが、
その片付けの中でいろいろと懐かしいものが出てきた。



1,2年生のころ愛用していたノートや、書き込みでいっぱいの教科書。かと思えば真っ白な教科書………(笑)




大荷物の原因はこの大量な教科書だったため処分することを決めましたが、ただの荷物として捨てるのは勿体ないと思い、専門書の買取業者に見積もりを頼んだところ、


20冊で700円と少しでした………






まじか…(*´・ω・`)

どうしようか、未だ悩み中です。

いつかは…???

くりかえし。

いかんなあ。やっぱり私は弱い人間じゃ。
そして見通しも持てずに
目の前の欲に囚われてる。

これは私の理想ではない、って
わかってるはずなのになあ。


いうこと聞かなくなっちゃったな。。



また失敗を繰り返してしまった。




情けない。

はなちゃんのみそ汁 読了

はじめてこっちのブログに投稿します。

(もう一つの方は主に趣味(ジャニーズ)の記事が中心)

 

 

使い道に迷っていたので、きままに日常の中で思ったことを

連ねていく場にしたいと思います。

 

 

さていきなりではありますが、私がずっと読みたかった本のひとつ、

「はなちゃんのみそ汁」(著:安武信吾・千恵・はな/文藝春秋)を

本日やっと手に入れ、そしてその足で

カフェオレとドーナツをたしなむことのできる店に入り、

本を読み終えました。

 

 

 

以前から24時間テレビなどで取り上げられたこの家族の実話は

私の中でずっと心の中に残っており、何年たっても忘れられませんでした。

 

たしか、初めてはなちゃんの存在を知ったのは私が中学か高校生の時にやっていた24時間テレビのコーナーでした。はなちゃんが鰹節を自分で削り、みそ汁を作っている姿を見たのが最初だったと思います。

その時の私にとって、よっぽど衝撃だったのでしょう。

 

「...私ははなちゃんのように自分で自分の事をやれているだろうか。」

 

料理も生活も母親がいなければ成り立っていなかった当時の自分自身に恥ずかしさを感じたのを、今思い出します。

 

 

 

それからまたドラマ化されたり文庫化されたりして、世の中にはなちゃんのみそ汁という本が広まり、私はもう一度千恵さんの思いに触れたくなりました。

 

親元で守られていたあの頃と、今社会に一人の大人として旅立とうとしている自分では、また感じることは変わるのではないかと思ったからです。

 

 

そうして今日、やっとこの本を買うことができました。

何度か、本を閉じながらも最後まで見守ることができました。

 

私が感想をいうのは烏滸がましいですが

本当に感じたことを私なりの言葉でここに残したいと思います。

 

 

 

千恵さんは乳がんを患いながらも、本当に様々な試練を乗り越えて

逞しく生き抜いた方だと思いました。

奇跡を何度も起こし、少しずつ歩みを進めていったように思います。

 

そして、周りにいる多くの「家族」と位置付けられた皆さんの存在が

今でもきっとはなちゃんや信吾さんの支えになっているのだろうと思います。

 

 

 

自分がもしもがんになったら、なんて考えたこともないし、

ましてや自分の子どもを残して別れなければならないなんて

想像もできません。

 

しかし、千恵さんが乳がんを患ったのは25歳。

遠くない未来であることに私ははっとしました。

 

 

この本の中で「食事」は一つのメッセージとなっています。

若いころの生活習慣が後の人生を支えるといいますが、

今の私は決して胸を張って完璧ですとは言えませんし、

実際本を読みながらカフェオレとドーナツを口にしています。

...反省です。

もう少し自分のために見直しをしなければな、と思いました。

 

 

また、保育士としての視点を持っている今、

はなちゃんを育てた保育園のサポートも注目したところの一つです。

 

食育に力を入れた環境は千恵さんの子育て方針にぴったりで、

園長先生をはじめとする保育士の方々の協力体制には感服しました。

養護の側面も、保護者支援としての面も、

何よりも心の支援が手厚かったように思います。

 

こんなに良い園があるんだな、と羨ましく思いました。

 

 

 

命の限りを受け入れて、前向きに生きるのは

難しいことのように思います。

死にたくない、生きたい。

その言葉を見て何度感情が溢れたことか。

 

千恵さんがはなちゃんに対し、深い愛情を注ぎ、

厳しくも優しく見守り、育てたことも母親の強さを感じさせました。

 

 

 

 

親から子へ、伝わるいくつもの思いがこの本には詰まっていました。

こうして言葉にしようとしても、全くうまく言葉にできないし、

薄っぺらくなってしまうし。

 

一番言いたいのはもっと色んな人に読んでほしいということ。

それだけです。

 

 

 

映画も公開されるので、それまでに何度も読もうと思います。

 

 

 

 

 

私は母親の最期に何を思うだろう。

後悔をいくつするだろう。

 

「まな、強くなんなきゃだめだよ。

もう一人で生きていかなきゃなんだからね。」

 

いつもこう言われると泣いてしまうからちっとも

覚悟が出来ていないと思い知らされるな。